大判例

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福井地方裁判所 昭和56年(ヨ)162号 決定

債権者 大谷光暢

右代理人弁護士 滝澤功治

同 中東孝

債務者 藤谷信雄

右代理人弁護士 表権七

同 三宅一夫

同 入江正信

同 坂本秀文

同 山下孝之

同 小酒井好信

主文

本件申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  申請の趣旨

1  本案判決の確定に至るまで、債務者は、

(一) 債権者が申請外宗教法人福井別院本瑞寺の代表役員の職務を執行するのを妨害してはならない。

(二) 申請外宗教法人福井別院本瑞寺の代表役員の職務を執行してはならない。

2  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

(被保全権利)

一  申請の理由

1 債権者は、福井市花月一丁目二番三六号所在の宗教法人福井別院本瑞寺(以下福井別院という)の住職であり、同別院の代表役員の地位にあったところ、債務者は、昭和五三年七月六日に宗教法人真宗大谷派(以下真宗大谷派という)の宗務総長から福井別院の輪番に任命されたとしてこれを称し、昭和五六年八月一八日から真宗大谷派宗憲(以下改正前のものを旧宗憲、改正後のものを新宗憲という)等の改正により債務者が福井別院の代表役員に就任したと主張している。

2 福井別院代表役員を債務者とする代表役員変更登記が昭和五六年一〇月七日になされたが、福井地方法務局登記官は、昭和五七年一一月二六日、右代表役員変更登記が不適法であったことを認め、債権者の申請にもとづき、債権者を代表役員とする回復登記をなした。

3 真宗大谷派の宗憲等の改正によって福井別院代表役員の地位に変動をきたすいわれはなく、登記上も債権者が代表役員とされているのであるから、債権者は、実体的にも手続的にも福井別院の代表役員としてその職務を執行する権限を有する。

二  申請の理由に対する認否

1 申請の理由1、2は認める。

2 同3は争う。

三  債務者の本案前の主張

債権者は本件仮処分申請において、福井別院の代表役員の地位について職務執行の妨害及び職務執行停止を求めるが、法人の代表者の地位存否の確認は当該法人を相手方としてなすことにより、はじめて関係当事者間の紛争を根本的に解決できるのであって、福井別院を相手方とせずに債務者を相手方とする本件申請は即時確定の利益を欠くから不適法である。

四  抗弁

1 真宗大谷派は、本願寺を中心として、寺院、教会その他の所属団体、僧侶、檀徒、信徒を包括する宗門であり、福井別院との間にも、かねてより同別院を被包括団体とする包括関係を設定していた。

2 真宗大谷派には浄土真宗の法統を伝承する師主として法主がおかれ、本願寺住職の債権者がその地位にあり、同時に同派の代表役員たる管長職を兼任していたが、同派は、法主・管長制度を廃止し、債権者を門主として象徴的存在とすることを骨子とする宗憲改正をなし、昭和五六年六月一一日に新宗憲を公布施行し、これに伴う真宗大谷派規則の変更を行ない、同年八月一八日、文部大臣の認証を受けた(以下変更前のものを大谷派旧規則、変更後のものを大谷派新規則という)。また、これらに併せて別院条例も改正されるに至った(以下改正前のものを旧別院条例、改正後のものを新別院条例という)。

右の改正により、旧宗憲において法主・管長の職務権限とされていた事項は、すべて真宗大谷派の宗務総長が行ない、同派の包括する被包括団体たる宗教法人中、別院については、その代表役員を当該別院の住職から輪番に移すこととされ、さらに右輪番の任免に関する行為は宗務総長の権限に属することとされた(新宗憲一五条、四六条、五二条、七四条、大谷派新規則五条、二七条二項、新別院条例二二条、二八条)。

3 旧宗憲下では、真宗大谷派法主をもって別院の住職とし、福井別院では、その住職である債権者が代表役員とされていたところ(旧宗憲七一条、七三条、大谷派旧規則二七条、旧別院条例五条)、右改正によって、同別院輪番の債務者が大谷派新規則の文部大臣による認証のあった昭和五六年八月一八日をもって同別院代表役員に就任した。

五  抗弁に対する認否

1 抗弁1、2は認める。

2 同3は争う。

六  再抗弁

1 真宗大谷派においては、債権者が同派の法主・管長の地位にあり、法人の事務その他の宗務は管長により任命された宗務総長及び参務五名以内によって組織される内局が管長を補佐して行なうこととされていた。

ところが、昭和四四年ころより、右内局、宗務総長ら改革派と称する一部の者達が、法主・管長制の廃止と本願寺の真宗大谷派への吸収を主たる目的として、旧宗憲及び大谷派旧規則の改正を企てたため、真宗大谷派内で紛争が発生した。

2 福井別院は、昭和五四年八月に至り、右紛争の長期化による宗内の混乱を憂慮して、法主・管長制度の護持、内局側提案の旧宗憲改正に反対との立場から、真宗大谷派との被包括関係の廃止、被包括関係からの離脱も己むなしとの結論に達したため、福井別院本瑞寺規則(以下福井別院規則という)四四条にもとづき、同年八月二四日責任役員三名全員が右被包括関係廃止を内容とする規則変更について同意の決議をなし、翌二五日総代五名全員で同様の決議をし、さらに同年九月六日院議会を開催して右内容の規則変更案が賛成可決された。

3 これに伴い、福井別院は、宗教法人法二六条二、三項にもとづき、同年九月七日より同月一六日までの一〇日間、真宗大谷派との被包括関係廃止の公告を行ない、また同月七日、内容証明郵便により真宗大谷派に対してその旨を通知し、右書状はそのころ真宗大谷派に到達した。

4 右通知の到達によって、福井別院が真宗大谷派との間に従来存した支配従属制約関係は将来に向って一切消滅した。

すなわち、宗教法人法二六条は被包括関係の廃止について規定するが、同条一項は、当該宗教法人を包括する宗教団体が一定の権限を有する旨の規定がある場合でもその権限によることを要しないとしており、右は廃止をしようとする当該宗教法人規則中に権限関係を定める規定がある場合だけでなく、当該宗教法人を包括する宗教団体の規則中に変更を制約する定めがある場合も含まれると解されるが、同法がこのような規定を設けたのは、宗教法人の自律性を尊重し、被包括団体も独立の宗教法人であり、被包括関係の設定、廃止は、憲法が保障する信教の自由に由来する当然の権利を行使するに他ならないから、包括団体等一切の外部団体の干渉を排して、まったく自由に、自らの意思のみによって決定されなければならないというにある。したがって、独立の宗教法人たる被包括団体が被包括関係の廃止を決意し、包括団体に対し、宗教法人法所定の手続により、その旨通知した時点から、包括団体が被包括団体に対して従来有していた権限関係は一切停止され、被包括団体は、従来包括団体から受けていたあらゆる制約を排除して以後の宗教活動を進めることができるのである。

なお、「包括」という言葉そのものには、統轄、支配、制約などの権限関係の意味はないのであって、右にいう権限関係の停止と、包括関係の規則変更の効力が認証書の交付により生ずることとは別の問題である。

したがって、被包括団体からの被包括関係廃止の通知の到達により包括団体の規則変更による支配権限関係は停止するから、福井別院からの右通知到達後の右真宗大谷派の宗憲、法人規則の改正は福井別院に対して何らの効力も及ぼさない。

現に、真宗大谷派内部においても同派との被包括関係を廃止する末寺が相次いで存在したが、真宗大谷派は、これに対して各寺院から被包括関係を廃止する旨の通知を受けた時点で、廃止の効力が発生したものとして取扱い、所定の手続によって、寺籍及び僧籍を削除し、その旨同派の機関誌「真宗」に掲載しており、同派が右通知の到達をもって被包括関係が廃止されるものと解していることが明らかである。そして、被包括関係廃止の場合の取扱につき、同派の関係規定中に、右の寺院と別院とを異にする規定は存在しないから、福井別院についても、被包括関係廃止の効力が生じたというべきである。

5 福井別院規則は、四七条において「宗憲及び真宗大谷派規則中この法人に関係がある事項に関する規定は、この法人についても、その効力を有する」旨規定しているので、一見すると、真宗大谷派の宗憲及び法人規則の変更が直ちに福井別院にその効力を及ぼし、代表役員が住職から輪番に移るかのようであるが、前記のとおり、真宗大谷派の宗憲等の改正は、そもそも福井別院に効力を及ぼさないものであるばかりか、福井別院規則は六条一項において、代表役員は住職の地位にある者をもって充てる旨規定しているのであるから、この規定に何らの変更がない以上、福井別院の代表役員は住職の地位にある債権者である。

かりに右四七条が全条項に優先する旨の規定が同規則中に設けられていたなら、真宗大谷派の宗憲や法人規則の変更の効力が直ちに福井別院に及ぶことも考えられるが、そうすると、所轄庁の認証なく実質的な規則変更が可能となるから、そのような規定は脱法的規定であって許されないばかりか、被包括団体がひとつの宗教団体として有する自律権を侵害するものとしても許されないのである。右のとおり、福井別院規則に何らの変更がないのに、真宗大谷派の宗憲、法人規則の変更によって、とりわけ代表役員の地位の得喪という重要な事項についてその影響を受けることはない。

したがって、債権者が福井別院の代表役員たる地位を失うことはありえない。

なお、福井別院は、昭和五六年九月七日、福井県知事に対し、福井別院規則変更の認証申請手続をなした。

6 かりに、真宗大谷派が福井別院の代表役員を住職より輪番に移行せしめた手続が福井別院の法人規則上容認しうるとしても、債務者が債権者にかわって福井別院の代表役員に就任したと主張するのは、昭和五六年八月一八日であり、福井別院が真宗大谷派に対して被包括関係廃止の意思表示をした昭和五四年九月七日(同月八日ころ到達)より二年を経過していないから、宗教法人法七八条一項に規定されている不利益処分禁止条項に違反し、同条二項により無効である。

七  再抗弁に対する認否

1 再抗弁1は認める。

ただし真宗大谷派における紛争の経緯は以下のとおりである。

債権者は、真宗大谷派(宗教法人法上の法人ではない)の管長であった大谷光演の独断専行に伴う破産および限定相続という悲しむべき事件を通じて、大正一四年一〇月一〇日真宗大谷派の管長に就任するとともに、本願寺の住職となった。

その時、「御直書」なる文書をもって宗門運営の指針を表明し、「抑々宗門は御同朋御同行の教団にして、一人の私壇を容れず、故に凡百の施設は、宜しく同朋の公議に基づくべし」と民主的運営の決意を明らかにしたのである。爾来宗門は、同朋の公議の精神をもって極めて民主的に運営されてきた。

ところが、昭和四四年四月二四日債権者は、「開申」なる文書をもって、真宗大谷派の管長職を長男大谷光紹に譲るからその手続を行なうよう、当時の訓覇内局に指示した。それ以来、大小様々の問題が続発するに至ったのであるが、その主だったものを概説すると次のとおりである。

(一) 右管長職譲渡開申事件は、宗門の最高法規である宗憲において、管長は宗議会及び門徒評議員会によって推戴するとその公選が規定されているところから、管長の独断専制的指示と内局及びこれを支える宗門の与論が対立することとなったが、昭和四七年二月二八日に至って債権者が漸くこれを撤回したことによって終熄した。

(二) ところが、昭和四五年に至って、債権者は、本願寺の代表として独断で東山浄苑(墓所)の造営を六車武信なる人物に白紙委任し、右六車がこれに着工したが、京都市から手続不備の点を指摘されてこれが明るみに出、当時の内局はその後始末に苦慮した。次期内局は、やむを得ずその敷地を財団法人真宗大谷派本廟維持財団に賃貸することにより何とか決着をつけた。

(三) 昭和四八年一二月一二日宗議会議員の選挙が行なわれ、その結果、与野党が逆転し、当時の末広内局は総辞職必然の内局となった。然るに、債権者が本願寺の財産を容易に処分し得ることを企図した本願寺規則の変更手続を、火事場泥棒的に押し進め、翌昭和四九年二月八日京都府知事に認証申請した。

(四) 前記与野党逆転の選挙に伴う臨時宗議会が昭和四九年二月八日(右認証申請の日と同日)に開会され、嶺藤亮が宗務総長に推挙されたにもかかわらず、債権者は任命拒否という異例の挙に出て、前記規則の認証を待った。

然し、右本願寺規則の変更は、手続的にも関連諸法規との関係においても、矛盾衝突のあるところから、京都府知事はその受理を留保し、認証しないので債権者は、宗門の与論に抗しきれず、昭和四九年四月一〇日に至って、漸く嶺藤亮を宗務総長に任命した。然し、その後も再三に亘って管長としての職務を行なわないことが続いた。

(五) 昭和五一年二月には、債権者は独断で、本願寺の代表役員として「大谷の里」建設のためと称し、金五億円余の約束手形を乱発し、新聞紙上を賑わしたが、その手形所持人によって、本願寺所有の重要文化財親鸞聖人絵巻物が差押えられるとともに、これまた重要文化財である、いわゆる枳穀邸が差押えられた。

(六) このように、債権者は、管長としての職務を行なわないのみならず、定期宗議会も招集しないと表明するに至り、予算決算の審議もできない状況に追い込まれたので、昭和五一年四月、宗務総長嶺藤亮は宗憲一七条に基き管長代務者の選定を諮ったところ、嶺藤亮が管長代務者に選定されたので、京都地方法務局にもその旨登記し、管長代務者が定期宗議会を招集し、宗派の混乱をとりあえず防止した。

(七) ところが債権者は、同年四月一一日嶺藤内局全員を解任したと称し、未だ管長職にあると主張しながら、爾後管長としての職務を一切行なわないのみならず、これまたいずれも独断で、同年五月二八日には本願寺所有の聖護院別邸(時価約五億円)と修練舎(時価約五千万円)を、同年六月一四日には宗務総長役宅(時価約一億六千万円)を、同年八月四日には山科別院の隣接地(時価約一億円)をそれぞれ処分するという暴挙を繰り返した。

(八) そこで、宗務総長嶺藤亮はやむなく、債権者、債権者の四男大谷暢道外を背任、その他で告訴、告発した。

(九) 昭和五二年一二月、宗議会議員選挙が行なわれた結果、宗門与論は嶺藤内局支持に傾き、与党議員五〇名対野党議員一五名(前四八対一七)と変動し、翌昭和五三年一月、特別議会が招集され嶺藤亮が再び宗務総長に推挙されたが、債権者はまたもや、その任命を拒否した。

(一〇) そこで、宗門与論は急激に大谷管長を解任し、新管長を推戴すべしとなり、昭和五三年三月二六日管長推戴会議において、大谷管長の解任並びに竹内管長の推戴を決議した。

(一一) しかるに債権者は、宗門のこのような事態に臨んでも未だ反省の色なく、同年一一月六日には、宗本一体であるべき真宗大谷派と本願寺の関係を無視し、本願寺を真宗大谷派から離脱させる旨声明し、法律上、規則等の内規上必要とされる手続を経ることなく、本願寺離脱の規則変更をしたとして、京都府庁に認証の申請を行なった。

(一二) 右本願寺離脱の声明の二日後、国が指定する名勝「渉成園」通称枳穀邸(本願寺飛地境内地約一万坪、時価百億円といわれる)が譲渡担保として松本裕夫および株式会社裕光に所有権移転登記が経由されていることが判明した。右所有権移転には、本願寺の所定手続を経ることなく、債権者が全く独断で行なったものであり、一年後松本裕夫の持分三分の一は、更に近畿土地株式会社に代物弁済により持分移転登記がされてしまった。

そこで、嶺藤内局は、債権者、大谷暢道らを背任で告訴した。

(一三) 昭和五五年九月頃より、前記財産処分による告訴事件について、債権者の側近である甲野太郎が逮捕され、大谷暢道の居宅の家宅捜索が行なわれた。

(一四) 同年一〇月二日、本願寺の真宗大谷派離脱申請について京都府は、手続不備との理由で申請書類を受理せず返却し、本願寺の離脱は不可能となった。

2 同2は不知。

かりに主張のとおりとしても、それは無効である。

すなわち、債権者が各決議があったと主張する時期には債務者がすでに福井別院輪番に任命されていたが、債務者自身福井別院規則変更に必要な院議会の招集をしたことがないから、輪番の招集のない院議会であれば手続に瑕疵があり無効である。

3 同3のうち、福井別院が真宗大谷派に対して昭和五四年九月、被包括関係廃止の通知を行なった事実は認め、その余は不知。

4 同4は争う。

宗教法人の包括、被包括関係の廃止は、廃止にかかる規則変更が認証され、認証書が交付されてはじめてその効力が発生するのであるから、福井別院の真宗大谷派との被包括関係廃止の規則変更申請が福井県知事の受理にも至っていない現状においては、真宗大谷派と福井別院との包括、被包括関係が存続していることは明白である。

すなわち、宗教法人法は、その二六条において、被包括関係の廃止を規則の変更手続によるものとし、三〇条において、その効力の発生は当該規則の変更に関する認証書の交付によるとしたうえ、二六条一項では、包括団体との権限関係について、規則変更手続において包括団体が一定の権限を有する旨の定めがある場合でもそれによることを要しないとし、また、七八条一項は、包括団体が被包括団体に対し、包括関係の廃止を防ぐことを目的として一定の期間に不利益取扱をすることを禁止しているのであって、これらの規定からすれば、宗教法人法は被包括関係廃止の効力の発生を規則変更の認証書交付の時とし、それまでの間、包括、被包括関係が存続することを前提として一定の要件のもとで、包括団体の被包括団体に対する権限の停止を図ったものと解すべきである。

債権者の主張する同法二六条一項は、右のように規則変更手続についての権限停止を規定したものであり、福井別院においては、福井別院規則四四条の規則変更手続について管長の承認が不要であることを意味する。したがって、右法条は債権者の主張の根拠となりえない。また、債権者の主張によると、包括、被包括関係廃止の規則変更が所轄庁により認証されなかった場合について全く説明ができないのである。

なお、債権者は別院の離脱も末寺の離脱と同等に取扱われるべきである旨主張するが、再々抗弁において主張するように、別院と末寺とは多くの差異があり、これを同一に扱うことはできないのである。

5 同5は争う。

包括関係が継続していることは、すでに主張したとおりであり、真宗大谷派の宗憲等の改正により福井別院規則六条は四七条を通じて変更され債務者が代表役員になったものというべきである。

6 同6は争う。

別院の代表権を住職から輪番へ移行したのは、昭和五五年一一月の後記和解によるもので、被包括関係の廃止を防ぐことを目的としたり、これを企てたことを理由として行なったものでもなく、債権者の同意によるものであるから不利益な取扱をしたのではない。債権者は右和解の結果、真宗大谷派の門主という宗教上の最高位者としての待遇を保証されたのであるから、和解前に企図した本願寺、別院の真宗大谷派からの離脱の意思は撤回されたものといわざるをえない。このことと、代表権の移行について債権者が同意していることとを併せ考えれば、代表権の移行が債権者に対する不利益取扱でないことは明らかである。

また、別院条例の改正は、宗派における議決機関たる宗議会の議決を経て全国五三別院全てに適用されるべき真宗大谷派の内部規定の一般的改正であり、福井別院のみを対象としたものではないから、福井別院の離脱阻止や離脱を理由とした処分でないことが明らかである。

八  再々抗弁

1 (包括関係廃止の主張に対して―福井別院の法人格の否認)

真宗大谷派における別院は、宗門の本山たる本願寺の機能を補うために設けられたもので、本願寺及び真宗大谷派と不離一体の関係にあり、これと離れた独自の宗教団体としての存在ではない。

したがって、福井別院においても真宗大谷派から離脱することは不可能なのである。

福井別院が離脱した旨主張する当時の関係規定によれば、真宗大谷派は唯一の本山たる本願寺を崇敬の中心、弘教の本刹として宗門存立の中心が本山本願寺である旨定め、(旧宗憲六九条)、本山本願寺の護持の責任を負うものとしている。本願寺は宗教法人法上の宗教法人であるが、その事務決定機関たる責任役員は真宗大谷派の責任役員をもって構成させ(大谷派旧規則五条、六条、旧本願寺規則七条、八条)、真宗大谷派と本願寺の事務決定機関を全く同一人に兼任させるとともに、本願寺の寺務は一切真宗大谷派の内局が行ない、真宗大谷派の宗務所の各部門が事務をとることとし、財政面においても、本願寺の維持運営に要するすべての経費は、真宗大谷派が負担するとし、真宗大谷派と本願寺は宗教法人法上は別個の宗教法人として包括、被包括関係にあるものの、その実体は、組織法上も財政面においても一体不可分の関係にある。

真宗大谷派における別院は、普通寺院の上位の存在として枢要の地に設け(旧宗憲六八条、七一条)、その地方の弘教の中心とし(旧別院条例一条)、その住職は原則として法主(本願寺住職)が兼務することとし(同条例五条)、本願寺の機能を補完すべき機関として真宗大谷派が設けた機関である。したがって、別院の住職を法主が兼務することが原則となっている外、別院の寺務を代掌する輪番をはじめ列座役、詰番、書記は全て真宗大谷派の宗務総長が任命することとし(同条例七条、九条、一〇条、一一条、一一条の二)、議決機関たる院議会を置いて、崇敬区域内の教師及び門徒から選定する議員をもって組織することとなっており(同条例一二条)、別院の財務の管理は宗務総長が行なうものとし(同条例二一条)、人事、管理、財務等の組織法的側面において、本願寺の補完機関である別院と真宗大谷派及び本願寺とを不離一体のものとしている。

そこで、さらに普通寺院と別院との差異を、別院離脱通知時の真宗大谷派の内規によってみると、まず、設立、移転、合併及び廃止(解散)について、別院は、教区又は開教区の意見を聞いて宗議会及び門徒評議員会の議決を経て管長が定めるが(旧別院条例一条)、普通寺院は、予め管長の承認を得るだけでよいこと(寺院教会条例九条、一〇条、一〇条の二、一一条)、代表役員となる住職の就任については、別院は、原則として法主がこれを兼務し、特に必要と認めたときは、法嗣又は連枝を住職に任命できるとするが(旧別院条例五条)、普通寺院は、先代住職の卑属系統であって男子である教師がこれを継承すること(寺院教会条例一五条)、事務の管理については、別院は、真宗大谷派の任命する輪番その他の職員がこれにあたるが、普通寺院には、そのような者はいないこと、残余財産の帰属についても、別院は、真宗大谷派に帰属するが(福井別院規則四六条)、普通寺院は、解散当時の住職に帰属すること等の差異がみられ、別院が真宗大谷派の直属機関である性格が明白である。

以上のように、別院の法的地位は、法人格取得のために宗教法人法上の独立の宗教法人という形式をとるものの、実体は真宗大谷派ないしは本願寺の一部であって、本来真宗大谷派ないしは本願寺の意思に反して別院独自で行動することは許されないのであって、このような観点から別院の法人格は否認されるべきものである。したがって包括関係を廃止することは不可能なのである。

2 (被包括関係廃止意思の撤回)

福井別院の責任役員は、昭和五六年一一月九日、真宗大谷派から離脱する規則変更に反対であるとして、認証申請の取下げを決議し、同日開催された院議会においても同様の決議がなされ、さらに昭和五七年一月一三日、責任役員会及び院議会において右同様の決議をなし、同月一四日右決議を公告した。

これによって離脱の規則変更は撤回されたものである。

3 (再抗弁5に対して)

かりに、真宗大谷派の宗憲等の改正によっても福井別院規則六条の規定自体には影響がないとしても、右六条二項は、真宗大谷派の法主をもって福井別院住職とする旨規定しており、真宗大谷派の宗憲等改正により真宗大谷派には法主という職が存在しなくなったのであるから、右六条一項の代表役員は存在しなくなり、代表役員が欠けすみやかにその後任者を選ぶことができない場合に該るから福井別院規則一一条により輪番の職にある債務者が代表役員代務者となった。かりにそうでないとしても、債権者は後記和解により代表役員を辞任したものというべきであるから、右規定により債務者が代表役員代務者である。いずれにしても債務者が代表役員の職務を執行するにつき正当な理由がある。

4 (再抗弁6に対して)

かりに、福井別院の代表役員を住職から輪番に移行せしめた手続が宗教法人法七八条の不利益に該当するとしても、同条による無効の効力は相対的(当該包括団体と被包括法人との間の関係についてのみ無効)で、かつ時限的(離脱通知前又はその通知後二年間)であるから、離脱通知日である昭和五四年九月七日から二年間経過後は、改正別院条例が福井別院にも当然適用になると解すべきであり、債務者の代表役員就任は、この時点から何らの瑕疵なく有効となったのである。

5 (和解にもとづく債務者の地位及び債権者の禁反言、権利濫用)

(一) 昭和四四年の開申以来十数年に亘る、いわゆる真宗大谷派の紛争は、債権者の宗門の私物視を原因とする権限濫用および職務懈怠によってひき起されたものであるが、昭和五五年一〇月に至りようやく、債権者と内局側との間に話し合いの空気が生れ、昭和五五年一一月に至り、債権者側と五辻内局側との間で、真宗大谷派の紛争を解決するべく話し合いの結果、次のごとき内容を合意して和解するに至った。

債権者側は、

(1) 真宗大谷派及び本願寺の代表役員の地位を宗務総長に移すこと

(2) 竹内良恵が管長として行なった宗務、嶺藤亮が宗務総長として行なった宗務並びに昭和五〇年より昭和五五年までの間に開催された宗議会及び門徒評議員会の議決等をすべて瑕疵なく有効なものとして承認すること

(3) 全国の別院の代表権を輪番に移すこと

に同意する。一方、内局側は、

(1) 債権者らに対する刑事告訴を取下げること

(2) 債権者らが本願寺の代表役員名で負担した債務を内局において処理することに同意する。

右合意にもとづき、二人管長の異常事態が収拾され、債権者が管長と認められて、債権者は五辻内局を任命し、右合意事項の承認並びに実現のため、同年一一月一九日、臨時宗議会を招集した。

右臨時宗議会においては、右の合意事項、とりわけ過去の宗務及び宗議会の議決について出席議員五一名全員一致でこれを承認し、代表権移譲に必要な規則の改正を全て可決した。

また、債権者側と五辻内局側とは、右合意条項の法律上の効果を強化するため、同年一一月二二日、京都簡易裁判所において、即決和解(同裁判所昭和五五年(イ)第八八号)を行ない、右合意事項は和解調書に記載され、確定判決と同一の効力を有するに至った。

前記和解契約にもとづきなされた真宗大谷派及び本願寺の代表権移譲のための規則改正は、それぞれ所轄庁により認証されたため、真宗大谷派及び本願寺の代表役員は、宗務総長の職にある者をもって充てることとなり、五辻実誠が代表役員に就任する旨の登記が完了した。そして、昭和五六年五月二七日から開催された定期宗議会において宗憲の改正が行なわれ、これに伴い前記和解条項中の別院の代表権を輪番に移す旨の別院条例の改正がなされた。これら改正により債権者は、真宗大谷派の門首となり、全国の別院の代表役員は輪番をもって充てることとなった。

(二) 債務者は昭和五三年七月六日、宗務総長嶺藤亮によって福井別院輪番に任命されたが、債権者は右和解によって右嶺藤の行なった宗務をすべて有効なものとして承認したのであるから債務者の福井別院輪番としての地位はこれにより確定した。

(三) また、債権者は、和解の当事者として別院の代表役員を住職から輪番に移すことを約束したのであり、右約定は債権者の代表役員辞任の意思表示と考えられ、約定に沿った手続をなすことが債務者の残された職務というべきである。すなわち、それは昭和五六年の真宗大谷派宗憲等の改正に伴い別院の代表権を輪番に移す手続をなすことであって、福井別院においては右宗憲等の改正によって福井別院規則の六条と四七条とが相矛盾することとなったのであるから債権者は右宗憲等に適合するよう福井別院の規則変更の手続をすみやかに行なうことが義務づけられたのである。右和解は、債権者らと五辻実誠らとの間の和解という形式をとっているが、実質的には債権者の右約束は真宗大谷派に属するすべての団体及び個人に対してなされたものであるから、これに反する主張を、債務者らをはじめ真宗大谷派内においてすることは、禁反言の原則により許されない。まして右義務を懈怠しておきながら自らの代表役員の地位の保全を求めることは権利の濫用として許されないものである。

九  再々抗弁に対する認否

1 再々抗弁1は争う。

福井別院は法律的に真宗大谷派あるいは本願寺とまったく対等な法人格を有する宗教法人である。

また、福井別院は、明治九年に福井別院本瑞寺を称するに至ったのであるが、歴史的には、文明三(一四七一)年に蓮如上人が現在の福井の地に布教の中心として東の御堂(御坊)を創建したことにはじまり、慶長八(一六一三)年、徳川秀康が下総の国結城から越前藩初代藩主として北ノ庄(現福井城祉)に入った際、結城から菩提寺である本瑞寺を移し、前記御堂と合併させ、その二年後には教如上人により連枝格寺院とされるに至ったという経過があるのであって、これを踏まえて真宗大谷派が明治初年に福井に別院をおく際、最も寺格の高い本瑞寺においたのである。したがって、福井別院は、単なる本山本願寺の一支院ではなく、また全国五三別院の一として、宗門内部の組織構成上も独立の地位を有しているのである。

このように福井別院は法的にも実質的にも独立した存在を有するのであって、法人格を否認されるいわれはない。

2 同2は争う。

債務者のいう「責任役員」、「院議会」は、いずれも債務者が現行の福井別院規則によらず恣意的に選任したものであるから違法である。福井別院には昭和五五年に選任された責任役員、総代、院議会がそれぞれ存在しており、現時点でもこれらが福井別院を真宗大谷派から離脱させようという意思を有することに何ら変わりがない。

3 同3、4は争う。

4 同5は争う。

昭和五五年一一月の即決和解においては、真宗大谷派も福井別院も当事者となっていないから、いかなる意味でもこれらの宗教法人に右即決和解の法的拘束力が及ぶいわれはない。

一〇  再々々抗弁

(和解について)

右即決和解の申立人である五辻実誠らと相手方である債権者とは、右即決和解をなす際、和解条項中の「別院」には、本件福井別院のように、右即決和解成立時点において既に真宗大谷派に対し、被包括関係廃止の通知をなしている別院は含まないとの合意をした。

したがって、右即決和解の存在は、本件仮処分申請につき、何らの障害とはならない。

一一 再々々抗弁に対する認否

否認する。

債権者が代表役員を兼ねた別院が離脱することについて、内局側は当初からこれを認めていない。かりに、このような離脱が行なわれるとすれば、債権者は自ら真宗大谷派を離れたことになり、真宗大谷派における債権者の地位はすべて否定されざるをえないのであって、和解によって真宗大谷派の門主として宗派の宗教上の最高位者の地位にありながら債権者が福井別院の離脱を主張するのは自己矛盾である。

即決和解の条項の文言からも別院の代表権を輪番に移す旨の合意における「別院」に福井別院が含まれることは明らかであり、さらに、債権者とともに右即決和解の相手方となった大谷暢道が同旨の合意をし、同人が住職をしている唯一の別院である井波別院も右即決和解時には離脱通知をしていたことからも、債権者が別院代表権移譲を約束したのは、離脱通知をしている別院を含んでのものであることを示すものである。

(保全の必要性)

一  債権者

債権者は、前記のとおり福井別院の代表役員の地位にあるが、債務者はこれを無視して自己が代表役員である旨主張し債権者の代表役員としての業務執行を次のとおり妨害している。

1 債務者は、昭和五七年一月一三日、自らがほしいままに選任した「責任役員」、「総代」、「院議員」を集めてそれぞれの会議を開き、

(ア) 同月一八日より債務者が代表役員として福井別院のすべての業務を執行すること

(イ) 福井別院が前記被包括関係の廃止に伴う福井別院規則の変更の認証を昭和五六年九月七日に福井県知事に申請し、いまだ認証書の交付がなされていないところ、右申請を取下げること

をそれぞれ議決したとして昭和五七年一月一四日、福井別院の掲示板に右の旨記載した文書を貼り出すとともに、債権者が昭和五四年九月一二日に任命した輪番西嶋泰英に対し、昭和五七年一月一七日限り福井別院より退去することを要求する文書を送付した。

2 西嶋は福井別院規則一六条により、真宗大谷派管長である債権者に輪番として任命されて以来、福井別院の一切の事務を処理してきていたが、昭和五七年一月一八日、債務者が突然福井別院内の事務室や輪番室を占拠し、以後実力をもって、ほしいままに福井別院の事務を処理している。また、右同日、朝の勤行である「御朝仕」において、それまで西嶋が勤めていた導師役を債務者が強行的に導師座に座り、事実上勤行を行ない、以後同様の状態が続いている。そして、この日以降、債務者は、連日のごとく福井別院事務室に押しかけ、責任役員である岡田光太郎らに対し、福井別院の会計帳簿を引渡すよう、執拗に迫っている。

3 債務者は、同月二二日、福井別院の所有する建物(輪番所)につき、同債務者の許可なくして立入りを禁ずる旨の文書を輪番所の周囲数か所に貼り出し、また、宗務総長及び同債務者の任命した職員以外のものは正規の職員とみなさない旨の文書を掲示し、且つ福井別院の全職員に迫って、同債務者に服従しその命に従う旨の誓約書にそれぞれ署名させた。その後別院の職員である僧侶達は、門徒より受領する御布施をすべて同債務者に渡すようになっている。

債権者は、西嶋が病弱であるため、右同日、福井別院責任役員である高田理真を輪番代理に任命し、同人に福井別院の事務を処理させようとしたが、債務者はこれを実力で阻止し、高田を福井別院内に一歩も立入らせない有様である。

4 福井別院において毎年一二月に行なわれる報恩講は、昭和五七年度は同月六日より行なわれたが、本来福井別院における宗教儀式の主宰者である債権者には何らの連絡もなく、全く債務者及びその一派の手によって遂行された。

5 また、債務者は、昭和五七年一月一八日、福井別院の主たる取引銀行である福井銀行に対し、預金口座名義を「宗教法人真宗大谷派福井別院本瑞寺代表役員(輪番)藤谷信雄」に変更し且つ同月一六日現在の残高証明書を交付するよう要求した。

福井別院の福井銀行に対する預金は約四〇〇〇万円であるが、右の預金証書及び届出印鑑は債権者が所持している。しかし、今般債権者が福井銀行に対し、右預金の払い戻しを請求したところ、右銀行は、債務者より右預金の払い戻しを停止するようにとの申出があったことを理由にしてこれに応じなかった。

右のとおり、債務者は、何ら権限がないのに、福井別院代表役員と称してその職務執行を行ない、債権者の職務執行を妨害するので、これを停止させる必要性がある。

二  債務者

保全の必要性は争う。

本件のごとき職務執行停止を求める仮処分の保全の必要性としては、民事訴訟法七六〇条の「著シキ損害ヲ避ケ若クハ急迫ナル強暴ヲ防ク為メ」等のいわゆる現在の危険が必要であるが、以下のように、本件にはこのような事由がない。

すなわち、債権者は福井別院の代表権を輪番に移す旨の前記和解に合意しており、しかも、別院における実務は、真宗大谷派から派遣された輪番が行なうことが明治以来の慣行であって、代表役員たる住職が別院の事務を行なった例はなく、現在は債務者が輪番として崇敬区域内の寺院住職の七割以上、門徒約三万人の支持を受けてその職務を行なっているのであり、今、債務者の代表役員の職務を停止させなければならないような事情は存しない。

債権者は、これが福井別院の真宗大谷派からの離脱に影響があるかのように主張するが、福井別院の離脱は、その崇敬区域内の僧侶、門徒の意思に全く反しているものであり、このことは、福井県知事が未だ受理をもしない一事からも明らかである。

また、債権者は福井別院の住職として宗教上の地位を有しており、宗教儀式に関しては従来と異ならないから福井別院に混乱が生ずる可能性はない。

報恩講については、債権者が宗教行事として最も重要な報恩講を営もうともしないのであり、むしろ宗教者としての自覚に欠けているといわれてもやむをえない程なのである。

さらに、債権者は、福井銀行の約四〇〇〇万円の銀行預金を払い戻せなかった旨主張するが、福井別院は現在そのような多額の出費を要する事業はなく、債権者が、債務者をはじめ福井別院の諸機関に諮ることなく右預金を費消しようとするなら重大な義務違反である。

債権者の本件仮処分申請は、福井別院の離脱をはかる極く一部の者の言に惑わされたものであって、福井別院は前記のとおり、債務者の下、正常かつ平穏に本来の運営がなされているのであるから、「著シキ損害ヲ避ケ若クハ急迫ナル強暴ヲ防ク」ために債務者の代表役員としての職務の執行を停止しなければならない必要性は全く存しないのである。

よって本件仮処分申請は却下されるべきである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  債務者は、本案前の主張として、本件仮処分申請は福井別院を相手方とせず債務者のみを相手方にしているものであるから即時確定の利益を欠き不適法である旨を主張している。

本件記録によれば、債権者の本件申請は、宗教法人福井別院本瑞寺の代表者としての地位にもとづく妨害排除請求を被保全権利とするものであって、代表者としての地位の確認請求を被保全権利とするものではないことが認められる。

そして債権者のこのような仮処分申請は直接右の妨害者である債務者を相手方として右の妨害の排除を求めれば足るものであって、あえて宗教法人をも相手方としなければ仮処分申請の利益を欠くというものではない。

よって債務者の右主張は採用しない。

二  債権者、債務者双方提出の疎明資料及び双方に争いのない事実によれば、次の事実が一応認められる。

債権者は、久しく真宗大谷派の法主、同派管長、代表役員、同派が包括する本願寺住職、同代表役員であり、また真宗大谷派法主の地位により同派の包括する福井別院住職、代表役員たる地位にあった。

ところで、真宗大谷派内では昭和四四年ころから、債権者側とこれに対する改革派と称する同派内局側との間に紛争が生じ、長期にわたる対立状態にあったが、昭和五三年三月二六日の宗議会、門徒評議員会において、債権者を管長から解任し竹内良恵を管長とする旨の決議がなされ、同人が真宗大谷派の代表役員に就任することとなったため、管長の地位をめぐり債権者側と竹内らとがさらに対立し、債権者側の申請により、竹内らに対して、同派代表役員等の職務執行を停止する旨の仮処分が認容され、また、その後、同じく宗議会の開催を禁止する旨の仮処分も認容されたが、竹内らはこれらに反して宗議会、門徒評議員会を開催するなどしてその職務を続行した。

債務者は、この間の昭和五三年七月六日に、宗務総長であった改革派の嶺藤亮から福井別院の輪番に任命された。

これに対して債権者は、昭和五三年三月の前記解任決議を機に、同年一一月、真宗大谷派の宗門存立の中心であり債権者が住職、代表役員の本願寺を真宗大谷派から離脱させる旨表明し、昭和五四年二月にその認証を京都府知事に申請した。そして、福井別院についても真宗大谷派との被包括関係を廃止することとして同年九月、福井別院から真宗大谷派に対してその旨通知し、また同月、債権者が西嶋泰英を福井別院輪番に任命したため、前記のとおりすでに輪番とされていた債務者との間に二人輪番の事態が生じた。

そうするうち、前記本願寺離脱の認証申請は手続に不備があるとして、昭和五五年一〇月、結局所轄庁から受理されないこととなり、債権者は本願寺独立の目的を達しえないこととなった。

そのころ、債権者側と内局側との間に、ようやく紛争解決のための話し合いの空気が生まれ、同年一一月に和解の成立をみるに至った。長期にわたった紛争を解決するため、右和解において、債権者は、真宗大谷派代表役員の地位を管長から宗務総長に、本願寺代表役員の地位も住職から真宗大谷派宗務総長に、それぞれ移すことに同意し、その趣旨に沿った各規則の変更及び変更の認証手続をすること、真宗大谷派に包括されている別院について、その代表役員の地位を住職から輪番に移すことに同意し、債権者が住職となっている別院については、その趣旨に沿った別院の規則変更に必要な行為及びその変更認証申請をし、それ以外の別院についても右趣旨に沿うよう協力すること、嶺藤亮が真宗大谷派の宗務総長、管長代務者として、竹内良恵が同派の管長として、五辻實誠が同派の宗務総長としてそれぞれ行なった真宗大谷派の宗務、本願寺の寺務、第一〇一回から第一一〇回までの宗議会における議決及び承認、昭和五〇年六月三日から昭和五五年五月三一日までに開催の門徒評議員会の議決及び承認、以上のすべてを瑕疵なきものとして有効であると承認することを約し、内局側は、債権者らに対してなしていた刑事告訴、告発の取下げをなすこと、債権者らが本願寺名義で負担した債務を処理すること及び真宗大谷派及び本願寺の全僧侶、全門徒の最高位にある債権者の地位を保障し、これに相応しい宗制上の処遇をすることを約した。このような合意の成立によって、債権者は真宗大谷派管長と認められ竹内との二人管長の事態が収拾された。そして、債権者は五辻内局を任命し、和解事項の承認、実現のために臨時宗議会を招集し、同月一九日の臨時宗議会において右和解事項はすべて承認され、さらに代表権移譲に必要な規則の改正についても可決された。

さらに、両者は右和解の効力を強化するため、同月二二日、竹内良恵、嶺藤亮、五辻實誠、古賀制二が申立人となり、債権者、大谷智子、大谷暢道を相手方として京都簡易裁判所において右和解と同趣旨の内容の即決和解の手続がとられた。

以上の事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

三1  債権者は、右の即決和解の効力は本件の当事者及び福井別院には及ばない旨を主張する。

なるほど、債務者及び福井別院が右和解の当事者となっていないことは所論のとおりである。

しかしながら、前認定のように右の和解はそれまでの債権者側と内局側において存在した紛争をすべて解決する趣旨のものであったのであるから、債権者としては右の和解の趣旨にのっとり、右の和解で定められた事項を誠実に履行する義務を負っているものというべきである。

したがって、これを履行することなく、本件のような仮処分申請に及ぶということは、自ら右の和解で定められた義務を履行する意思がないことを表明したものと認められてもやむを得ないであろう。

2  債権者は、右即決和解における和解条項中、別院に関する条項は、福井別院のように右和解時点で被包括関係廃止の通知をなしていた別院を含まない旨主張し、債権者提出の疎明資料中には、これに沿う内容の記載がある債権者側のメモ様の書類も存するのであるが、前記和解はこれまでの紛争状態をすべて解決しようとする趣旨であったうえ、和解条項中には、一部の別院を除外するという明文の条項はもとより、これを窺わせるような文言もなく、双方提出の疎明資料中にも、当事者双方がこれを合意したことを窺わせる資料が存せず、かえって上申書によれば、別院に関して前記即決和解において債権者と同趣旨の和解をなした大谷暢道が住職をしている唯一つの別院であった井波別院が右即決和解時には被包括関係廃止の通知をなしていたことが一応認められるのである。

したがって、もし債権者の主張のように被包括関係を廃止する旨の通知をすでにしていた別院は右の和解から除外されているものとすれば、大谷暢道は同人が住職をする別院について全く内容のない和解をしたことになり、明らかに不合理である。

3  次に宗教法人法は被包括関係の廃止を規則の変更手続によるものとすること(同法二六条)、同法二七条の規定による認証の申請前に被包括関係を廃止しようとする宗教団体にその旨を通知すること(二六条三項)、所轄庁に右認証の申請をすること(二七条)、規則の変更は認証書の交付を受けることによってその効力が生ずること(三〇条)を規定し、さらに被包括関係を廃止しようとする場合には規則の変更について被包括法人の規則中に包括宗教団体が一定の権限を有する場合でも、その権限に関する規則の規定によることを要しない(二六条一項)ことを規定している。

そして前記認定のように、右の即決和解が成立した当時において福井別院は真宗大谷派に対して右の被包括関係を廃止する旨の通知はしていたけれども、規則の変更にかかる認証書の交付は受けていなかったことが明白である。

右によれば、福井別院は右の和解条項にいうところの「真宗大谷派に包括されている別院」であったと認めるほかはない。

この点に関し、債権者は被包括関係の廃止はその旨の通知によって効力を生ずる旨を主張するが、右の主張は宗教法人法二六条、三〇条、七八条に反するものであって採用のかぎりではない。

なお、宗教法人法二六条一項の規定は、規則変更手続についての包括宗教団体の権限の停止を定めたものであって、包括関係の廃止の通知後は包括団体の規定の適用が排除されるというものではないと解するのが相当である。

そうすると右の即決和解にいうところの真宗大谷派に包括される別院のなかに福井別院のようにすでに被包括関係廃止の通知をしていた別院をも含むものと認めるのが相当である。

4  次に債権者は宗憲の改正及びこれに伴い福井別院の代表者を変更するということは債権者に対する不利益処分であって宗教法人法七八条により無効であると主張する。

しかしながら債権者は右の和解により福井別院の代表者を輪番に移すことを承認し、さらに嶺藤亮がなした宗務を有効と認めたのであるから、嶺藤より福井別院輪番に任命されていた債務者を同別院輪番として承認したものと認むべきである。

したがって、債権者は債務者が福井別院輪番であることを否定すべき立場にはなく、また、別院の代表権移譲を約した以上、福井別院の代表役員が現在も債権者であるか否かは別にして、少なくとも代表役員の地位を住職である債権者から輪番へ移すべき義務があるものといわなければならない。

そうすると、右の和解が裁判上の和解であり、この内容は債権者も十分了解して成立したものであるから、前記宗憲の改正等は債権者に対して前記法条にいうところの不利益処分ではないことは明らかである。

四  以上の認定判断によれば、債権者には本件仮処分を求める必要性がないというべきである。

すなわち債権者は前記和解により真宗大谷派の内局に対して福井別院の代表者としての地位を輪番に移すべき義務を負っているのであるから、自ら福井別院の代表者の地位を輪番である債務者に移すべきである。

右によれば債権者の福井別院の代表者としての地位は右の和解により消滅することが予想されるのであるから、このような場合には債務者に対して本件のような仮処分を求める必要性はないというべきである。

五  以上の次第で債権者の本件仮処分申請はその余の点について判断するまでもなく理由がないから失当として却下することとし、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高橋爽一郎 裁判官 中村直文 石井忠雄)

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